普通って難しい

普通とはなんでしょうか。

聞くと皆さんはどのようなことを思い出すでしょうか。

 

なんとなくですが

教えられるものではないけど、

皆が当たり前だと思っているもの
みたいな気がしています。

 

例えば、僕が思っていた当たり前とは
「なるべく良い学校を出て、なるべくよい会社(正社員)に入るのが良い」

というのは

教えられたわけではないけど、当たり前だと思っていました。

 

それ以外にも

「大学4年生になったら就活をして就職をする」

とか

「仕事=辛いけど生きるためにやらないといけないもの

みたいなものも

 

ある意味当たり前(そういうもんなんだな)という風に疑わず

生きていました。

 

でも

そうはない生き方があること

当たり前を疑うことを知ることができた出会いがありました。

 

それがCMSPや広田町、SETでした。

 

普通にのほほんと生きていたら出会えない、

自分の感じていた当たり前ではない

生きる道がそこには沢山ありました。


大学を卒業したら、絶対に就職する。ではなく

仕事は辛くて生きるためにやるもの。ではなく

社会の当たり前が正解ではない。どんな自分の選択でも正解にしていく。

 

普通の自分のレールでは出会えない違う世界観や価値観を持った人たちと

一緒に時間を共にしながら、活動をしていく。

 

その活動のなかで知ることができたのは

事実で見てみると、
少し今のリアルな社会とずれているものが沢山ある。

社会の変化に対応できていないものがいくつもある。

では、今のリアルな社会にあった、生き方や考え方、活動はなんだろう??
というもの。

 

確かに思えば、10年ちょい前まではスマートフォンなんて無かったですし

出てきた当時、こんな誰もが持っているものになるとは思っていませんでした。

 

テクノロジーが発展して

グローバル化が進み、

日本は人口が減り

時代の変化は著しく早くなる

 

なのに、社会の普通(当たり前)は変わらない。

それはずれても致し方ないことなのかもしれないですね。

 

今までの普通が普通じゃなくなってきている。

そしてその普通を疑い、

自分らしく、人生を進めていくことが求められていると思います。

 

自分の人生の本当のwantと向き合い

他人のwantと向き合い、対話し

そしてお互いに理解しあって一つのものを作ってく

この変化の激しい時代で生きための強さ

そんなものが手に入るかもしれません。(あくまで自分次第だとは思いますが)

 

普通って難しいですね

でも、自分で選んで自分だけに普通を作ってきたいですね。

頑張っていきましょう。

頭を抱えて生きていく

「これから君たちが生きるのは今まで以上に変化が激しい、不安定で不確実で正解がない時代だよ。」学生をやっていると、将来への不安を煽る様々な声を聞く。人の寿命が企業の寿命を上回る時代。自分にしかできないことや自分なりのミッションを胸に、自分の中のバランス感覚を強めていくほかないんだなあ。

 

でもそんなことって、本当にできるのか?資格や学力で評価され、自分の価値なんてわからない。勇気を出して行動すると「意識高いね」と一蹴される。自分が本当に思っていることなんて話せない、みんな離れていってしまうから。「答えはない。」そう叫ばれる世の中だけど、周りは答えを持っていそうで自分がどんどん小さくなっていく。

 

僕がCMSPで経験したことは、わからないことだらけのこの世の中を、思い切り生きるための方法だ。

 

 

CMSPは「Change maker study program」の略。日本語訳すると、変革者育成事業なのかな。自分から変わること、これをなによりも大切にしている場所で、環境にとらわれず自分の手で理想を現実にしていく挑戦をする、そんなChange Makerを世の中に増やすことを目的に活動している。

少し自己紹介をすると、僕は2020年の10月から大学を休学し、広田町に住んでいる。CMSPでは、チームリーダーという立場についていて、CMSPをもうしばらく続ける、ということ以外、この先の人生なにも決まっていない。ちなみに今季でリーダーは二回目。CMSP歴が比較的長い分、率先してChange Makerの価値観を体現していきたいところ、なのだが、挑戦することってとても怖いことなんだなあ、という考えが最近の僕の頭の中を占めてやまない。コロナのご時勢、今までと同じ形でのプログラムはできないし、このまま休学期間をここで過ごすのは、果たして自分の人生にとって最良の選択なのかどうかわからない。そんなモヤモヤが僕の中を渦巻いていた。先行きが見えないのはとても怖い。答えなんてないのはわかっているけれど、この道が正しいのかは正直わからない。

 

話は変わるが、竹原ピストルの「よー、そこの若いの」という歌にこんな歌詞がある。(この歌はCMで有名になったので聞いたことがあるのではないかなあ。)

 

‘‘とかく忘れてしまいがちだけど とかく錯覚してしまいがちだけど 例えば芸能人やらスポーツ選手やらが 特別あからさまなだけで 必死じゃない大人なんていないのさ

よー、そこの若いの こんな自分のままじゃいけないって 頭を抱えてるそんな自分のままでいけよ‘‘

 

この歌詞を見るたびに、悩んでいてもいいし、人が自分の人生を前に進めるときって、必ずしもスッキリした状態ではないのかもしれないな、と思える。今、僕は人生に迷っている。でもだからこそここで頭を抱えながら思い切り人生をかけた半年を送ることに意味があるのかもしれない。答えのない世の中だからこそ思い切り、生きてみたい。

「あなたが生きる社会、活きる環境はきっとある」

大学時代、大学デビューに憧れて、

夢のキャンパスライフに憧れて、キャンパスライフをスタートした。

でもなんかうまく馴染めない。

なんだかつまらない。

想像していた未来はこんなんじゃなかった。

 

そんな大学生活を送っていた。

 

でもそんな未来を少しでも変えたくて、

いつもと違うコミュニティに飛び込んでみた。

 

だけど、そこでも「常識」を押し付けられてしまう。

社会のために、誰かのためになりたいと言うことを言えば笑われて。

向きになって言い返せば、「意識高い」と罵られ。

一生懸命やれば、「熱いやつ」とバカにされる。

 

大人はみんな、

「就活して就職しなさい」

「安定した会社に入りなさい」

「迷わないで決めなさい」と言う。

それが正しい人生なの?

あなたの時代と今の時代は違うよ。

あなたの価値観と私の価値観は違うのに、

なぜ押しつけるの?

 

私が生きる社会はどこだ。

私が活きる環境はどこにあるんだろう。

 

そう思っている人もいるかもしれない。

 

大丈夫、あなたが生きる社会、活きる環境はきっとどこかにある。

 

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私が大学3年生の頃、東日本大震災が起こった。

縁があって、岩手県陸前高田市広田町で、震災ボランティアの活動をさせてもらった。

都会で暮らし、都会の価値観が当たり前で、その当たり前や普通に違和感があってモヤモヤしていた私は、人口3000人の田舎町で、隣近所全員顔見知り、自然とともに生きているこの町の価値観や暮らしに触れて、大きく揺さぶられた。

 

大学生の頃、東京に暮らしていて、

私が社会に感じていた違和感、

それは、

「なんで周りと違うことをしちゃダメなの?」
「なんで一生かけてやる事を今決めることを求められるの?」
「なんで未来のために今を我慢しろと言われるの?」
「なんで卒業後は就職しないと変な目で見られるの?」
「熱い!意識高い!とかなんでバカにされないといけないの?」
「社会のために何かしたいと思うことはいけないことなの?」

「一生懸命夢に向かって生きる事は素晴らしい事じゃないの?」
「なんで他者に評価されないといけないの?」
「なぜ競争して、勝つことが良いとされるの?

常に誰かと比べる自分でいることをなぜ求めるの?」
「悩むことや決めないことは悪いことなの?」
「当たり前って?常識って?普通って?」

「心の声に正直に生きちゃなんでダメなの?」

 

こう言うことだった。

都会の生活とは違う、価値観とは違う中で生きている町の皆さんと話し、向き合い、
そして仲間と語り合い、行動していく中で、

「自分にとっての豊かさとは何か?」について、

少しずつ理解していくことができた。

そしてそれは、私の人生において本当に素晴らしい出来事だった。

 

価値観が違うからこそ、

いつもと環境が全く違うからこそ、

出会えるもの、見えるもの、感じるものがきっとある。

信じられるもの、信じられる人、信じられる場所がきっとある。

 

「自分にとっての豊かさ」を理解できれば、

もう、周りに流されることもない。

もう、周りと比べることもしなくて済む。

もう、私の想いを邪魔する他の人の声は気にならない。

 

部屋の中から飛び出そう。

思いっきり環境を変えてみよう。

コロナだろうとなんだろうと、

自分の心一つ、行動一つで大きく変わっていく。

 

少なくとも私にとって、

この広田町と、

広田町の人と、

広田町での活動と、

ここでともに過ごす仲間たちは、

人生において大きな意味を持つものだった。

 

きっと、あなたにとっても、

そんな場所が、人が、活動が、きっとある。

大丈夫。

 

特定非営利活動法人SET理事長 三井俊介

就活をしなかった私が、今思うこと

「ペットショップで働いてペットのお世話しながら、小さなライブハウスを建てたいです!」

なんて予備校の面談で言っていた当時17歳の私。担任の先生に笑われた。

「そんなこと言ってないでもっと真剣に将来を考えなよー。」

 

あ、そうか。こんなふわふわな考えじゃだめなのか。

動物も音楽も大好きだけど、なんとなく“違う”と言われたようだ。

 

「良い大学へ入ったら、良い会社に入れます。なので教科書に沿った勉強を頑張りましょうね。」

色んな人からこのように教わった。

私も笑われたあの日から、良い大学進学を目指して素直に勉強したのである。

 

18歳。大学に入学した。学部の同学年が4000人ほど。キラキラした人たちに目が眩んだ。

1年生の時から周りの子は“インターン”を口にした。

広告会社。金融。旅行代理店。誰でも知っている会社のインターンに応募した、受かったなどの会話を聞いては、漠然と焦っていた。

「みんなに置いてかれてしまう。。」

 

2年生になった。授業でも“就活”のワードが少しずつ増えてきた。将来の話になるとごく当たり前のように「なにがしたい」ではなく「なんの“業界“に入りたい」の話になった。ES

に書けそうな活動を探しては選考を受けていくスタイルが周囲の“普通”のあり方だった。

 

3年生。周りが一気に就活を始めた。大学の友達はみんな髪の毛を黒く染めた。将来「なにがしたい」かが見えておらず、私は就活をする気持ちになれなかった。ただでさえ大学の成績が悪い私は自分に自信を持てていなくて、一回就活を始めてしまうと“競争のスタートライン”に立ってしまうんじゃないかと怖かったのが正直なところ。このまま周りに合わせて、必死に置いていかれないようにすることがとても嫌だった。

 

 

そんなタイミングで、陸前高田市広田町と出会った。

初めてきた時から、窮屈だった心が解放された感覚があった。直感的に「帰りたくないなぁ」と思った。

「やりたいこと」を一生懸命やっていて、そして感情豊かに楽しそうに生きている人たちがそこにはいた。

豊かな自然があった。広大な青を目の前に、海は広いな、と改めて感じた。畑作業を毎日繰り返し、色とりどりの野菜を収穫している人がいた。

そんなことに心が惹かれ、気づけば毎月通うようになった。

 

 

 

そこから2年間広田町に通い、活動をしていた時のこと。

就活をしないで広田町へ行ってばかりの私は、大学の友達からとても心配されていた。

いよいよ、卒業後はどうしようか、そのことがリアルに降ってきた。

 

どうしたいか。

これから人生をどう創っていきたいか。

 

“正解”らしく見えていた道筋、“普通”だと言われてきた企業への就職。

でも、自分にとっては関係なかった。

関係ないと、出会った人たちに教えてもらった。

 

広田町にたくさん通ってわかったことがある。

それは、私は自然に身を置いている時が幸せに感じるということ。

田舎が好きで、田舎をもっと知りたいということ。

人と笑っている時が好きだということ。

何かのためを思って人と共に一生懸命になることは楽しいということ。

挑戦することはドキドキするし、楽しいということ。

 

他にもたくさんあるけど。

たしかな“好き”や“幸せ”を信じて、選んでいきたいと思った。

 

自分のやりたいことに挑戦している人がかっこよく見えて、私もそうなりたいと思った。

心から湧き出る好奇心や、直感にしたがって生きてみたいと思った。

 

そして直感的に、「ここで暮らしがしてみたい」と思った。

 

「ペットショップで働いてペットのお世話しながら、小さなライブハウスを建てたいです!」

なんて予備校の面談で言っていた当時17歳の私のように、

 

「自分自身が広田町で豊かな暮らしを楽しみながら、この町の暮らしを知ることができるゲストハウスを作りたいです!」

といつの間にか言えるようになっていた。

 

それは間違いなく、ここで生きる人たちの挑戦する姿に惹かれ、

「こんなこと、やりたいです!」と言ったことで町の人と共にできた経験があって、

何より笑わずに「いいね!やろうよ!」と背中を押してくれる人がいるから、だと思う。

 

 

本当は“えらい”とか“うまい”とか“すごい”とかそんなのは関係なくて

“普通は〇〇”なんてそんなことは無いんだ

と、そう思う人が増えたら良いなと思う。

競争的な世の中ではなくて、それぞれを認め合える世の中であって欲しいと思う。

普通の仕事?

普通の人生?

 

そのイメージから離れられたからこその、ワクワクする未来がある。

きっとそう。

そんなことをぼやっと思いながら、これからも毎日をドキドキ楽しく生きていきたい。