なんだか物足りないから、君だけの人生を。〜風の強い日を選んで、走ってきた〜

 

「君の夢が叶うのは、誰かのおかげじゃないぜ。風の強い日を選んで走ってきた。飛べなくても不安じゃない。地面は続いているんだ。好きな場所へ行こう、君ならそれができる。」

 

the pillowsのFunny Bunnyという曲を漫画で知って、初めて聞いて何度も聞くたびに、自分の人生を生きよう、自分のペースでいいから歩んで行こうと何度も思い、その度にでも、じゃあどうやったらそうなるのか皆目見当もつかないまま学生時代を僕は過ごしていました。

 

なりたい自分や、やりたいこともなんとなくだけどある。家族は優しかったし、友達もいて、何一つ不自由ないはずなのにどこか物足りないような。将来は明るいようで、どこか寂しいようなそんな感覚を持ちながらとりあえずフラフラ人生を歩いていました。

 

2015年3月、友達に誘われて、陸前高田市の広田町に出会い、紆余曲折ありながらも僕は、この町に移住することにしました。それは、なんだか物足りない日々を、少しずつ僕の人生にしていくような、そんな道のりだったような気がします。もともと国際協力に興味があって、アフリカの国際協力に憧れていた学生時代。そこから、日本の3000人の漁師町に人生が落ち着いたのだから、やはり人生はわからないなと思います。

 

 

 

この町に出会い、生きる中で感じたこと。

それは、よく言われることだけど、「人生は自分のものだ」ということ。

そして、人生を自分の手に握りなおしたり、自分のものにしていく時には、

1人では難しくて、誰かの愛や誰かに背中を押してもらうことが自分を少しずつ勇気づけてくれるということ。

物足りないと感じていた頃の僕は、自分の人生だしな、なんて呟きながら、いろんなことを自分で決めることを諦めてた気がします。それに、壮大過ぎてよくわからなかった。壮大過ぎて独りでは背負えなかった。

人生は、未だに壮大で、わからないことも多いのだけど、あの頃の寂しさや物足りなさは、もうほとんどなくなった。もう本当に、無くなった。それは、一緒に挑戦してくれた仲間がいたからだし、胸を張れよって背中を押してくれた広田の町の人がいたからだし、全部が少しずつ僕に寄り添い、降り積もった結果だと思う。

 

 

どんな場所でも、意外と生きられる。

 

でも、

人は「1人」なんだけど、「独り」では生きられない。

これは僕が大事にしたいなと思っていることでもあるし、どんな人も、独りで歩くには人生はちょっと壮大すぎるよなとも思っています。

 

広田には、僕を愛して一緒に歩んでくれる仲間がいたし、僕の一生懸命を優しく受け止めてくれる町の人がいました。都会という大きなコミュニティでは見えなかった”人間らしさ”みたいなものが僕を勇気付けてくれて、僕は好きな場所に行こうって、昔よりも思えるようになったのだと思います。

 

 

何が、いま、これを読むあなたに届くでしょうか。

少なくとも、人生は君のものだし、仲間がいたら楽しいし、愛し受け止められることで、

人は自分の人生の背中を、押されていくのだと思います。

あなたにとってのそんな場所が、きっと見つかる。

 

それが広田であったなら、ぜひこれからよろしく。

 

でもそうじゃないとしても、この文章と出会ってくれた人の人生が、孤独ではなくワクワクしながら、地面を蹴って歩いていってもらえたら。

それはとても嬉しいことです。

「あなたが生きる社会、活きる環境はきっとある」

大学時代、大学デビューに憧れて、

夢のキャンパスライフに憧れて、キャンパスライフをスタートした。

でもなんかうまく馴染めない。

なんだかつまらない。

想像していた未来はこんなんじゃなかった。

 

そんな大学生活を送っていた。

 

でもそんな未来を少しでも変えたくて、

いつもと違うコミュニティに飛び込んでみた。

 

だけど、そこでも「常識」を押し付けられてしまう。

社会のために、誰かのためになりたいと言うことを言えば笑われて。

向きになって言い返せば、「意識高い」と罵られ。

一生懸命やれば、「熱いやつ」とバカにされる。

 

大人はみんな、

「就活して就職しなさい」

「安定した会社に入りなさい」

「迷わないで決めなさい」と言う。

それが正しい人生なの?

あなたの時代と今の時代は違うよ。

あなたの価値観と私の価値観は違うのに、

なぜ押しつけるの?

 

私が生きる社会はどこだ。

私が活きる環境はどこにあるんだろう。

 

そう思っている人もいるかもしれない。

 

大丈夫、あなたが生きる社会、活きる環境はきっとどこかにある。

 

==

私が大学3年生の頃、東日本大震災が起こった。

縁があって、岩手県陸前高田市広田町で、震災ボランティアの活動をさせてもらった。

都会で暮らし、都会の価値観が当たり前で、その当たり前や普通に違和感があってモヤモヤしていた私は、人口3000人の田舎町で、隣近所全員顔見知り、自然とともに生きているこの町の価値観や暮らしに触れて、大きく揺さぶられた。

 

大学生の頃、東京に暮らしていて、

私が社会に感じていた違和感、

それは、

「なんで周りと違うことをしちゃダメなの?」
「なんで一生かけてやる事を今決めることを求められるの?」
「なんで未来のために今を我慢しろと言われるの?」
「なんで卒業後は就職しないと変な目で見られるの?」
「熱い!意識高い!とかなんでバカにされないといけないの?」
「社会のために何かしたいと思うことはいけないことなの?」

「一生懸命夢に向かって生きる事は素晴らしい事じゃないの?」
「なんで他者に評価されないといけないの?」
「なぜ競争して、勝つことが良いとされるの?

常に誰かと比べる自分でいることをなぜ求めるの?」
「悩むことや決めないことは悪いことなの?」
「当たり前って?常識って?普通って?」

「心の声に正直に生きちゃなんでダメなの?」

 

こう言うことだった。

都会の生活とは違う、価値観とは違う中で生きている町の皆さんと話し、向き合い、
そして仲間と語り合い、行動していく中で、

「自分にとっての豊かさとは何か?」について、

少しずつ理解していくことができた。

そしてそれは、私の人生において本当に素晴らしい出来事だった。

 

価値観が違うからこそ、

いつもと環境が全く違うからこそ、

出会えるもの、見えるもの、感じるものがきっとある。

信じられるもの、信じられる人、信じられる場所がきっとある。

 

「自分にとっての豊かさ」を理解できれば、

もう、周りに流されることもない。

もう、周りと比べることもしなくて済む。

もう、私の想いを邪魔する他の人の声は気にならない。

 

部屋の中から飛び出そう。

思いっきり環境を変えてみよう。

コロナだろうとなんだろうと、

自分の心一つ、行動一つで大きく変わっていく。

 

少なくとも私にとって、

この広田町と、

広田町の人と、

広田町での活動と、

ここでともに過ごす仲間たちは、

人生において大きな意味を持つものだった。

 

きっと、あなたにとっても、

そんな場所が、人が、活動が、きっとある。

大丈夫。

 

特定非営利活動法人SET理事長 三井俊介

何もないこの町だったからこそ、見えてくる本当に大切なこと

初めてこの広田町に訪れたのは大学4年生の夏だった。

当時の自分は教採(教員採用試験)を控えていた。しかし、教採に対するモチベーションはなく、こんな何もない町に、友人に誘われたプログラムだからと参加しているのであった。今までの自分では体験し得ない何かを求めていた。

 

広田町に訪れて最初の感想は、本当に何もないということだった。

 

自分はこの町に新しい体験を求めてやってきた。しかしなにもないこの町で、いったいどんな体験ができるのだろうかと、期待よりも大きく膨らむ不安を感じていた。

プログラムが本格的に始まる。とにかく人と話し合うことが多かった。

 

本番一週間の中頃で、「町と人を体験することを目的としたアクション」について、運営メンバーから共有を受け、自分たちのこうしてみたいを混ぜ込み、練習した。

町の人との関わりの中で、当時の大震災のリアル、人の心の動きや町の変化を知った。体験談は初めて聞くのに、あまり自分の心の中には入ってこない感覚で、いまや想像できないほど過酷な状況であった事だけはわかった。

 

自分がこの町でしたかった体験はこれでよかったのか?という疑問がずっと頭の片隅にあった。大学生の力で町づくりになるアクションをやってみること、町の人の実体験を聞くことの価値はあったが、自分のなかで満たされない何かがあった。

 

全てのアクションを終え、町の方の反応に驚いた。ただの大学生の「町で取れる竹や木材で奏でる音楽会」というアクションに対し、涙を流す町の方がいた。

確かに、初対面の大学生と0から企画し実行までやりとげたことの達成感は大きかった。しかし、町の方の反応があまりに大袈裟に見え、現実を信じられない自分がいた。目の前で起きていることが不思議でならなかった。

 

 

しかし同時に、自分の中に大きな変化も起きていた。

いままで自分のやってきたことをなにも信じられなかった自分、人の気持ちがわからず、周りの様子ばかりを伺い、一生懸命目立たないようにしていた自分、どんなことに取り組んでみても、穴の開いたバケツのようにいろんなものも流れ落ちていた感覚、結局自分は人のためになんかなれない、自分には何も持ち得ていないと思っていた

 

しかし、自分たちの頑張りに涙してくれる町の方の存在が、自分の存在も救ってくれた気がした。

こんなアクションでと思ったけど、ただ自分の中にある感謝の気持ちを表現するだけで目の前の人には届くんだと実感した。

 

自分の中には何もないと思っていたけど、そうではないのかもしれない。

自分の中にある気持ちや想いは確かにあって、ただ人に伝えようと表現してこなかっただけなのかもしれない。町の方々に対する感謝も、一緒にプログラムをやり遂げた仲間への感謝も、自分自身に対する感謝もちゃんと自覚して、少しずつでも人に自分に届ける努力をしていこうと静かに決意する自分がいた。

 

この町は本当になにもない。けれど、だからこそ自分の中にある確かなことに気づける町であった。

些細なことでいい。自分にとって大切にしたいものだと思ったら、今度はそれを大切にしていける人生にしていければいい。

就活をしなかった私が、今思うこと

「ペットショップで働いてペットのお世話しながら、小さなライブハウスを建てたいです!」

なんて予備校の面談で言っていた当時17歳の私。担任の先生に笑われた。

「そんなこと言ってないでもっと真剣に将来を考えなよー。」

 

あ、そうか。こんなふわふわな考えじゃだめなのか。

動物も音楽も大好きだけど、なんとなく“違う”と言われたようだ。

 

「良い大学へ入ったら、良い会社に入れます。なので教科書に沿った勉強を頑張りましょうね。」

色んな人からこのように教わった。

私も笑われたあの日から、良い大学進学を目指して素直に勉強したのである。

 

18歳。大学に入学した。学部の同学年が4000人ほど。キラキラした人たちに目が眩んだ。

1年生の時から周りの子は“インターン”を口にした。

広告会社。金融。旅行代理店。誰でも知っている会社のインターンに応募した、受かったなどの会話を聞いては、漠然と焦っていた。

「みんなに置いてかれてしまう。。」

 

2年生になった。授業でも“就活”のワードが少しずつ増えてきた。将来の話になるとごく当たり前のように「なにがしたい」ではなく「なんの“業界“に入りたい」の話になった。ES

に書けそうな活動を探しては選考を受けていくスタイルが周囲の“普通”のあり方だった。

 

3年生。周りが一気に就活を始めた。大学の友達はみんな髪の毛を黒く染めた。将来「なにがしたい」かが見えておらず、私は就活をする気持ちになれなかった。ただでさえ大学の成績が悪い私は自分に自信を持てていなくて、一回就活を始めてしまうと“競争のスタートライン”に立ってしまうんじゃないかと怖かったのが正直なところ。このまま周りに合わせて、必死に置いていかれないようにすることがとても嫌だった。

 

 

そんなタイミングで、陸前高田市広田町と出会った。

初めてきた時から、窮屈だった心が解放された感覚があった。直感的に「帰りたくないなぁ」と思った。

「やりたいこと」を一生懸命やっていて、そして感情豊かに楽しそうに生きている人たちがそこにはいた。

豊かな自然があった。広大な青を目の前に、海は広いな、と改めて感じた。畑作業を毎日繰り返し、色とりどりの野菜を収穫している人がいた。

そんなことに心が惹かれ、気づけば毎月通うようになった。

 

 

 

そこから2年間広田町に通い、活動をしていた時のこと。

就活をしないで広田町へ行ってばかりの私は、大学の友達からとても心配されていた。

いよいよ、卒業後はどうしようか、そのことがリアルに降ってきた。

 

どうしたいか。

これから人生をどう創っていきたいか。

 

“正解”らしく見えていた道筋、“普通”だと言われてきた企業への就職。

でも、自分にとっては関係なかった。

関係ないと、出会った人たちに教えてもらった。

 

広田町にたくさん通ってわかったことがある。

それは、私は自然に身を置いている時が幸せに感じるということ。

田舎が好きで、田舎をもっと知りたいということ。

人と笑っている時が好きだということ。

何かのためを思って人と共に一生懸命になることは楽しいということ。

挑戦することはドキドキするし、楽しいということ。

 

他にもたくさんあるけど。

たしかな“好き”や“幸せ”を信じて、選んでいきたいと思った。

 

自分のやりたいことに挑戦している人がかっこよく見えて、私もそうなりたいと思った。

心から湧き出る好奇心や、直感にしたがって生きてみたいと思った。

 

そして直感的に、「ここで暮らしがしてみたい」と思った。

 

「ペットショップで働いてペットのお世話しながら、小さなライブハウスを建てたいです!」

なんて予備校の面談で言っていた当時17歳の私のように、

 

「自分自身が広田町で豊かな暮らしを楽しみながら、この町の暮らしを知ることができるゲストハウスを作りたいです!」

といつの間にか言えるようになっていた。

 

それは間違いなく、ここで生きる人たちの挑戦する姿に惹かれ、

「こんなこと、やりたいです!」と言ったことで町の人と共にできた経験があって、

何より笑わずに「いいね!やろうよ!」と背中を押してくれる人がいるから、だと思う。

 

 

本当は“えらい”とか“うまい”とか“すごい”とかそんなのは関係なくて

“普通は〇〇”なんてそんなことは無いんだ

と、そう思う人が増えたら良いなと思う。

競争的な世の中ではなくて、それぞれを認め合える世の中であって欲しいと思う。

普通の仕事?

普通の人生?

 

そのイメージから離れられたからこその、ワクワクする未来がある。

きっとそう。

そんなことをぼやっと思いながら、これからも毎日をドキドキ楽しく生きていきたい。

今、コロナの影響で海外に行けないあなたへ。

夏休みや春休み、大学生活中に海外には行っておきたい。

そんな想いも今の情勢下において遠い夢のような話になってしまっている。

 

そして、大学生活、何かしたいのに何もできない。

人と人の出会いの中にこそ素晴らしい体験があるような気がするのだが、、、!

そんなこともできずにもやもやしている。

そんな想いを抱えている人も少なくはないのではないだろうか?

 

僕はそんな人にこそ地方の面白さを知ってほしいと思う。

 

「日本の田舎ってなんかゆったりしててスローライフ的な?」

 

そんな感想を抱く人もいるのではないかなと思います。(もちろんそういう側面もあります。)

いやいや、全然そんなことないのです。

 

日本の田舎はすっごく面白い!

 

面白いポイントでいうと

・圧倒的な非日常体験(日本は田舎独特の文化があるのが特徴!)

・方言により言葉がわからない!

・色々な人が各地から集まってくる

・コロナの影響を十分に対策しながら、交流することができる(可能性がある)等々

 

さらに、僕が最も面白いと思っているのは日本の田舎には世界にとって重要な問題にあふれているということ、その現場で挑戦するということができることです。

 

日本の田舎が抱える、人口減少社会は今後世界中で重要なトピックになります。

 

こんな記事もあります。

日本だけじゃない「人口減少」が映す心配な未来/東洋経済オンライン

https://toyokeizai.net/articles/-/409930

 

 

日本の田舎は2050年の世界の姿、30年先の未来を映しています。

そして、インターナショナルに見れば、日本の問題も世界の問題の一つです。

 

実は東日本大震災後、ハーバードビジネススクールは10年間、東北の地へフィールドワークに訪れ続けています。そして、超人気コースになっているというのです。

 

ハーバードはなぜ東北で学び続けるのか?/ DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー

https://www.dhbr.net/articles/-/7579

 

“「世界を変えるリーダー」となるために学んでいるわけで、自分たちで何かスタートアップをやりたいと思っているし、社会貢献をしたいとも考えています。東北で実際にそうした活動をする人たちと交流することで、目から鱗の思いをして帰るのです。”

これも日本の農村のポテンシャルに世界中が気付き始めているという証拠だと思います。

そんな環境が皆さんの足元には広がっているのです。

なんかワクワクしてきませんか?

ぜひ、自分の足元に足を伸ばしてみることをお勧めします

人生が変わる最高の体験ができると思いますし、足元から世界とつながっていけるのです。

コロナ禍で何か頑張りたいけど1人じゃできない。。。そんなあなたへ

「仲間」という言葉をみて最初に浮かぶのは、「信じてみる」ということ

何でも言い合える関係でもあるし、その人がどんなことをしても受け入れられる関係なのかなという感じ、傷つく可能性があるのも覚悟かな。でも、行動を信じるのではなくて、その人の存在の素晴らしさや想いを本気で信じるということ。

 

 僕はCMSPで人に安心感を持てた。

人は安心して初めていろんな行動ができるようなる。

お互いが信じ合えば、安心からその先にあるいろんなチャレンジができる。

信じることで生まれる安心感が一番大切なのだと感じている。

 

 当時、大学3年生の冬にCMSPを部活の後輩に紹介してもらった。

部活もチームスポーツより個人競技を選んでいたし、

理想を追ってばかりで実力が伴ってない自分を見て煙たがられるのが嫌だった。

「一緒にもっと強くなろうぜ!」と声をかける勇気もなかった。

 

「結局誰もわかってくれない、人を信じられない、でも本当は信じたい」

 

そんな時に、声をかけられたCMSP

「仲間とつくる本気のまちづくりのプロジェクト」

そんな感じのうたい文句だった。

 

普通に疑った。金額も高いし騙されてるかなあとかも思った。

でも、騙されてもいいや。

やらない後悔よりやる後悔と思って、思い切って参加した。

 

こんな風に思い切ることができたのも、

変わりたい強くなりたい。そんなことをずっと思ってきたけどなかなかうまくいかない自分に嫌気がさしていたからかもしれない。

最後のチャンスと思って飛び込んでみた。

 

やるならもうどうなってもいいという覚悟で臨んだ。

1週間のプログラム中

「何を思ってもいいし、何を感じてもいいよ。」

いろんなことを受け入れてくれる人がたくさんいた。

 

その言葉も普段だったら信じないのに、

本気で信じてみた。

普段だったら、空気読んで言わない言葉も

もビクビクしながら何度も言ってみた。

 

でも大丈夫だった。

人への恐怖心も、それと同じくらい強くある信じたい気持ちも。矛盾を抱えている自分の感情をそのまま受け止めてくれた人たちがいた。

びっくりした。涙がほんとに滝のように溢れた。いろんなことを感じてもいいんだ。周りの雰囲気と違うことを感じててもいいんだ。

素直に嬉しく、生まれて初めて自分の感情を全部受け取ってもらえた感覚があった。

 

その1週間のプログラムから、何かが一気に吹っ切れた。

かのように思えた。。。

けど、現実に戻って言いたいことが言えなかったり

信じることができない自分に戻るのが嫌だった。

 

何より、人が人を信じることから生まれるチャレンジや場所をもう一度作りたくて半年間のスタッフを始めた。

 

でも20年以上言いたいことが言えなかった人が、自分の気持ちを言えるようになったり、信じられるようになるのは、そんなに簡単なことではなくて、いつの間にか相手を信じたくなくなったり。相手の気持ちを考えずに感情任せな言葉遣いになったりした。

 

特に印象に残ってるのは

・当時の企画設計のペアとの関係

 

ペアの子は自分とは真逆のタイプだった。

よくいう合わないよねそこの2人ってやつ。

でも、そんな2人が互いを尊重しあえる素敵なペアになったら、

参加してくれる人もいろんなことを感じてくれるだろうし

僕自身それに挑戦したかった。

チームメンバーも最初はそのペアにするのはダメって話をしてたけど

理解してくれて信じてくれた。多分結構勇気いただろうなと思う。

 

案の定ペアとの関係はうまくいかない。

それまで僕のペアは神戸から広田まで通い。

深夜帯のバイトもしつつ、

お金をなんとか工面しながらのスタッフでした。

 

東京で集まる定例mtgにくることがお金の関係で難しくなったり。

 

当時の自分には理解し難かった。いろんな事情があるのも何となくわかっていたけれど、それを何で解決してこないんだろう?とか

もっと同じ熱量で一緒に頑張りたいのに。できないじゃないかと。

裏切られるのが怖いのと同じで人のせいにしてた。

 

やる気ないやつと一緒にやりたくなんかない。やめればいいじゃん。

でも、何でそこまで広田に来るのか、何か理由があるはずだと。だから聞きたい。

 

こんなトゲトゲした言葉を使う人に広田に来る理由なんて話したくもなかったかもしれない。けれども勇気を出して話してくれた。

「まちの人が自分を社会復帰させてくれた大切な場所だと」

 

何があっても自分がいていいと思えるそんな大切な場所があるのなら

お金がなくなろうとも、人に迷惑をかけようとも

それはいきたい場所だよなそう思えた。

 

そんなこともあって少しだけ近づけた気がした。

 

企画設計の最終段階、話し合ってもなかなか決まらない。何でかわからない。

お互いの主張がぶつかるだけで、相手の意見を受け入れようという姿勢が僕にはなかった。絶対こっちの方がいいと頑なだったのだと思う。そういう意味では上下で人を見ていたりもした。

 

そんな時マネージャーから本当に大切な言葉をもらった。

 

「信じようとして頑張ってる姿も伝わる。

でも米粒一つ分でも、この人とはできないなとか、

分かり合えないなとかそんな気持ちがあるのなら絶対企画はできないよ。」

 

この言葉で号泣したのを覚えてる。

信じるのが苦手な自分、相手を上下で見てしまう自分。良し悪しで判断してしまう自分そんな自分がいる上で。

それでも相手の考えや気持ちを純粋に信じてみる。

 

次の日の朝、企画はびっくりするぐらいすぐに決まった。

自分の弱さに何度も何度も壁に当たって、その度に人を信じることがどんどんできるようになってきた。

 

今もまだペアとお互い頼り頼られる関係が続いているのは本当に有難く嬉しいことです。

 

 有耶無耶に信じろということではないけれど、

自分の信じたい生き方や信じたい可能性を悩みながらも本気でぶつかって進めば道は開けるのだと実感しています。

 どんなことでも開きたい道があるのなら、CMSPは町の人と私とあなたの私たちで積み上げる、1人では作れない素敵な想いの詰まった「私たち」のまちづくりをしてみるのも一つ面白いだろうなと思っています。

 

CMSP43期参加者

CMSP53期スタッフ 上村徹雄

やりがいを求めたいけど、イイヤツらを手放すのが怖い人へ

もう少しやりがいのある学生生活を過ごしたい。

でも、大学やアルバイトで出会った今の友達との距離が生まれそうで怖いあなたに。

 

友達との距離感をえらび直すことを強くお勧めします。

これはあくまでも僕が大学生の時の体験から考えたことです。

 

もう少し具体に落としてみましょう。

 

飲み会でこんな会話したことありませんか?

 

 

「人それぞれだからね〜」

「そうなんだよね〜」

 

 

これ、すばらしく大人な関係です。

でも当時の僕はだんだんこの会話に飽き飽きしてきました。

 

それぞれなんて当たり前じゃないか。

それを言ったらそれ以上何も深まらないじゃないか、、、!

 

 

僕と同じように、と思った人はもう少し読んでみてもらえると幸いです。

 

 

イイヤツらを手放していこう

上記のような関係は、一旦否定はしないが、それ以上は深まらない関係ですね。

 

ここで、完全僕主観で友達分布図をつけてみました。

 

おそらく先ほどのような会話が起きるのは、左下に分布している友達ではないでしょうか。

もしかしたら高校の旧友たちともそんな会話をしていた時期があるかもしれません。

 

思い浮かぶ友達はいますでしょうか。

 

彼らは否定はしてきませんが、

彼らとそのままいて熱量の軸を高めることはほとんどありません。

 

 

自分が成長できそうなプログラムやインターンに参加したら、

仲間意識やライバル意識を持った友達に出会えるかもしれませんね。

短期ですが濃い数日間を過ごす仲間だと思います。

 

さて改めて、縦軸熱量高めなところに飛び込みたいと思っているあなたに。

そして、飛び込みたいけど左下のイイヤツらが手放せないあなたに。

 

安心してください。

 

左下の彼らと接点を持つのは、今の30分の1くらいで十分です。

それでも多いくらい。

 

 

 

もし今あなたが、

もっとやりがいのある学生生活を過ごしたいと思うなら、

ただのイイヤツら枠の友達から一旦距離をおくことを私は強くおすすめします。

理由は簡単。

熱量や成長は、同じ目標を見たときに生まれやすいものだからです。

いわゆる仲間として共に時を過ごさないと生まれにくいものです。

部活や体育祭があったから熱くなれるのは当たり前のことですよね。

 

もしそれでも気になるなら、

半年後にでも久しぶりに飲みに行ってみてください。

 

「お前頑張ってんな〜。俺もなんかしてえな〜。」

「最近忙しくしてる〇〇がきてくれて嬉しいよ〜。」

って素直に言ってくれます。

なぜならイイヤツらだから。

イイヤツらはどこまで行ってもイイヤツらなんです。

 

だから安心して、

自分がやりたいと思ったこと、

飛び込みたいと思ったことに飛び込んでみてください。

 

 

僕はそうして本当に良かったです。

余計なしがらみは、自分が勝手におもいこんで作り出したものでした。

手放したと言っても、今だにその頃の友達とちゃんと繋がっています。

むしろほどよい距離感が存在して、それがお互い掴めたんだな〜と思います。

 

ポイントは、友達だーれも悪くない。

でも誰もそんな適切な距離感なんて取ろうとしないから、なんとなくの関係が続いちゃう。

 

大丈夫。

案外そんな簡単につながりなんて切れないから、さっさと自分の人生歩んじゃいましょう。

絶対その方が楽しくて実りある学生生活です。

 

もちろんあなたが自己成長や熱量高いことに興味が湧いているならです。

 

 

※もう少し友人関係のことを知りたい人はこんな面白い記事もあるのでぜひ↓

日本の若者が深い友人関係を築けなくなった「決定的理由」(飯田 一史) @gendai_biz

 

 

捕捉:熱量高め×安心高め

ちなみに僕がCMSPで得られたのは、熱量高め&安心感高めな友達であり仲間でした。

なぜそうなるか、その理由の一つに「田舎だから」があると思います。

資料づくりが上手だったり、ディスカッション強くても、挨拶できる人の方がおばあちゃんに喜んでもらえます。

 

世知辛い受験戦争や就職活動の評価とはかけ離れた場所での活動です。

今の環境だと優位に立つ存在も、

田舎だとみんな「一生懸命な、わかもの」にくくられます。

肩書き外してその人のパーソナリティで見てもらえる場所を人たちを相手にしているから、CMSPで出会う仲間は飾らないヤツらだったんだと思います。

現に初日にキレ者堅物だった人が、おばあちゃんの感謝の言葉で涙を流したりしているのはいつ見てもいい光景ですよ。

CMSP14期参加者

山本晃平

想像もできなかった未来へ

未来のために何かしたいけどどうしたらいいんだろう、、、と悩むあなたへ

突然ですが、、、

5年後、あなたはどこで誰と何をしているでしょう?
そして、5年前に今の自分がやっていることが想像できました??

ぜひ、目を瞑って想像してみてください。
どうでした?僕はちっとも想像できませんでした笑

僕は想像できなくても良いのかなと思っています。
今、僕たちの生活の根底を変えてしまった新型コロナウイルスの流行なんて誰が想像できたでしょう?
簡単に僕らの生活は変わってしまうんだなと感じました。

でも変化の激しい生活の中で、こんなことをよく聞かれます
「あなたは将来何をする(したい)の?」
そして、成功のためには、「目標を立てて、達成していくことが大事」と言われます。
よく成功している(ようにみえる)人の話を聞くと、目標を立てることや未来を描くことが必要だと言います。
僕はこういう言葉を聞くと焦ります。
「何か挑戦しなきゃ」「目標を立てなきゃ」と、、、
もちろん重要な要素かもしれませんが、こう考えていくとどんどんハードルが上がっていきます。
しかも、誰もその目標が達成されたり、何か始めたりするのを待っていてくれません
迷っているうちにどんどん世界は変化していきます

だからこそ、僕は「試してみることに価値がある」と思います
「試してみること」は挑戦とはちょっと違うと思っています。
なんというか、挑戦って失敗はつきものという癖に成功するためにやるもんな気が僕はします。
ただ「試してみること」には、成功も失敗もありません。ただやってみるだけ。
これが意外と面白い

人は実験が好きな生き物だと思います。
だからかな、「試してみること」って面白いんですよ
面白くて、楽しい
そんな瞬間が増えていったら、幸せだと思いませんか?
次はどうなるのか楽しみな人生って僕は素敵だと思います。
そして、それは意外と目の前にたくさん転がっています。
「あ、面白そう」って思ったことをたくさん試してみてください。
それも思いっきり、やってみるのが大事です。
一つだけと言わず、いろんなことを試してみてください。
気づいたら、自分の人生、思わぬ方向に行っているかも!

ちょっとした話ですが、僕のここ5年について。
5年前はバリバリの教師になりたい人でした。
母子家庭だった僕にとって、学校が居場所だったので、そんな場所を作りたいと思って教師を目指しました。
大学の友達に誘われ、「やってみっか」とNPOの活動に参加してみた
田舎でコムローイと呼ばれる熱気球を0から作ってみた
NPO活動の学生リーダーをやってみた
誰かに決められたり、すでに決まっていた道とは違う道を試してみました
そんな5年後、僕は地方の田舎にあるNPOで働いています。
全然予想もできませんでした。でも、最高に楽しいです。

未来のために何かしなきゃと気負うことも、挑戦という言葉のハードルも必要ない
「これは面白そう」という心を動かして試しているうちに、人とは違う自分だけの人生に巡り会えます。
一度きりの人生、やってみないとわからないことばかりです。
どうせなら、自分だけの人生を生きてみたいと僕は思います。

ぜひ、たくさん試してみてください
そして、5年後のあなたにこう聞いてあげてくさい

この5年間、何を試してきた?って

青春の1週間

CMSPには参加する前に想像していたよりも濃い時間が流れていました。

真夜中の対話、なかなか全員が納得する形で、決まらない目標、仲間たちの涙。そこで印象に残っている言葉は「できるできないじゃなく、やりたいかどうか」です。できない理由ややらない理由は簡単にでてくるけど、それでやりたいという想いをかき消してしまうのは悲しいなと感じました。せっかく1週間仲間と作り上げるならみんなが納得する形で誰かに想いを届けたいと感じました。ひとりひとりの個性や得意不得意を掛け合わせてやりたいを形にできた1週間を誇りに思います。

仲間と向き合い続けた7日間

本気で向き合い、支え合う7日間でした。

本気でこの町に何かをしようとする仲間に出会えて活動できたことや町の人が暖かく私たちを迎えてくれたからだと思います。

今までは自分の意見やマイナスな感情は場を壊してしまうので言わないようしていました。

しかし、この場所は一人一人を大切にしていてしっかり受け入れてくれる仲間がいました。立ち止まってもみんなが向き合ってくれて支えてくれるそういう場所でした。

CMSPに参加して、自分の気持ちに素直になり伝えることの大切さそして、ありのままの自分でいいということを学ぶことができました。

ここで出会った仲間、町の人との繋がりをこれからも大切にしていきたいです。